水辺と都市の発展

江戸時代には社交場だった

江戸時代には、水辺が庶民の社交場でした。ところが、現代の大都市では、コンクリートの壁の間を川が流れています。市民は水に親しむことができません。

壁のようなコンクリート堤防

高度経済成長期からバブル経済期になると、日本の市街地では、河川を整備しようとすると、地価が高くて河川の幅を広げることが難しくなりました。川底を深く掘り下げ、堤防も土でなくコンクリートで、しかも傾斜のない壁のような堤防になってしまいました。

釣り、キャンプなどの水辺レジャー

こうした中で、人々の関心が水辺に向いてきたのは、生活にゆとりができ、良好なアメニティーを求めるようになったからです。釣り、キャンプなど水辺を舞台にしたレジャーが再び盛んになりました。

金沢の犀川、浅野川の川べり

日本から情緒豊かな水辺が姿を消してしまったわけではありません。私たち「水辺の環境研究会」のメンバーが暮らす北陸の金沢では、犀川(さいがわ)、浅野川の川べりが、戦後(昭和、平成)を通じて守られてきました。

景観を損なうマンション建設を阻止

住民もその価値を認識しています。川辺に景観を損なうマンションが建てられることが発覚すると、予定地を買収するための基金集めの運動が起きました。その結果、市も動き出しました。水辺の復権には行政にまかせるのではなく、こうした住民意識の盛り上がりが大切だと思います。

富山では官民の協議会

川だけでなく、海辺をどういうふうにきれいな環境にするかということも大切です。石川県の隣の富山県では、官民からなる協議会をつくって「うるおいのある海辺環境づくり」を推進しています。この事業では、親水性、景観保全、海辺文化継承が計画の3つの柱になっています。