私たちが考える「水文化の創造」とは

水文化とは、水が日常生活にしっくり溶け込んでいる状態です。水とともに自分の楽しみを作り出すことが地域で可能になり、しかもその地域でなくてはできないものを実現していく。そんな地域に根付いた水文化の創造を目指しています。

地域の子供たちに

水文化の推進活動とは、行政がつくった噴水で満足しないで、河川敷に別の水路を作ったり、農業用水を利用してせせらぎを作ったり、子供が水の中でバチャバチャ遊べる場所を設けたりすることです。まず、地域の子供たちに何を与えられるか、の発想でこの問題に取り組みたいです。

距離を置いて川とつきあう

私たちは、年中、川と親しんでいるのではなく、ちょっと距離を置いてつきあうという、スタンスを大事にしています。タイに「当てにならないものはゾウと若い奥さん」という言葉があります。ゾウは非常におとなしいが、一生に1回人を殺すので注意しないといけません。水もそうで、他人行儀につきあうところにすぐれた文化があるように思います。

物質文明か精神文化か

水文化を考える際、物質文明を追求する延長で水文化も欲しいというのか、それとも精神文化というものに回帰していく方向の中で求めるのか、まず自分自身に問いかける必要があります。

生活様式の一部として

水文化の創造は、日常的に水とかかわり、つき合うという生活様式の選択にほかなりません。休みをとって川に行くことやゴルフやスマホゲームではなく、水と親しむなど水を中心とした生活がなければ水文化は生まれません。さらに浪費、使い捨ての生活には水文化の創造はありえません。

水辺空間のアメニティ

最近、水辺空間のアメニティーがもてはやされるようになりました。しかし、浪費と使い捨ての延長の形で行われていないとは言えません。水文化を本当に考えていくには、水と日常的にかかわる覚悟が必要です。

治水から生まれる連帯感

水文化の創造にとっては、社会の連帯感の欠如が重要な問題です。古来、治水を通じて多くの文化が生まれました。

濃尾平野の「輪中」(わじゅう)

岐阜県、愛知県、三重県などにわたがる濃尾平野の「輪中」(わじゅう)がいい例です。低い集落をぐるりと取り囲む堤防。1か所でも切れると、屋根まで水がつかり収穫もゼロになります。平常でも補修、補強に総出し、洪水になると死にものぐるいで水防を行いました。個人中心の社会で、連帯感のある地域社会を再構築することが、水文化の創造に欠かせないと思います。

日本は、引水して初めて土地が実現した

水は、市民の連帯感をつなぐものであってほしいです。日本の社会は水を治め、引水して初めて土地が実現しました。水との緊張関係が共同体のきずなであり、日本の水文化を特徴づけたともいえます。

都市の川離れ

しかし、治水が進んだため、緊張が緩み、都市の川離れが進みました。川の恵みと怖さの意識が薄れつつあることに、大きな危機感を持っています。「水文化の創造」をいう場合、その水は、単に水辺をレイアウトするだけでなく、先人たちの努力の積み重ね、山村の労働歴史が肌でわかる水であってほしいです。治水、利水、親水と、役所でも区別して扱っているが、基本は全部一緒のものだと思います。

近代化のプロセス

水との密接な生活が日本の水文化を作ってきましたが、近代化のプロセスの中でそれが崩れてきて、今、危機的な状況に置かれようとしています。そこで最大の課題は、新しい現代的な水文化を作り上げていくことに尽きます。

世界の水不足

中国やその他の新興国でも水文化が何らかの変革を迫られています。今後、生水は石油と同じように貴重なものになり、不足すると予測されています。

森林ときれいな水を守る

日本は世界の中では恵まれた状況にあります。しかし、ほうっておけば危機は必ず来ます。1億人以上の人口と70%の森林、きれいな水をもって楽しく暮らしていくには、たいへんな独創が必要です。

子供たちに「泳げる川」を

小、中学生を対象に「川への願い」アンケートをしたところ、子供たちは「泳げる川にしてほしい」が第1位でした。どうしてこんなに河原がゴミでいっぱいなのか。これが子供たちの心です。大人になるとめいめいの美化意識が風化します。行政に頼るだけでなく、住民が一緒にやっていくということが、水文化を育てていく基本ではないでしょうか。